1980年代の郵政民営化(郵貯民営化)に関する新聞記事

wikipediaの「郵政民営化」についての記述をみると、以下のような記述で始まってるんだけども。

郵政民営化(ゆうせいみんえいか、Postal privatisation)とは、日本政府が1990年代末から2000年代にかけておこなっている郵政三事業(郵便・簡易保険・郵便貯金)を民営化することを目的とした政策である。「民営化」議論によって「郵政四事業」として語られるようになったが、従来の三事業に包含されていた郵便局窓口での接客サービスである「窓口業務」を別事業として区分したものである。

郵政民営化(wikipediaより)

同項目の下の方に小泉純一郎が行った郵政民営化の経緯の説明が割と詳細に書かれている。

小泉内閣の誕生とアメリカの要望


小泉純一郎内閣総理大臣に就任すると、小泉内閣郵政民営化を重要施策の一つとして掲げ、小泉自身も「行政改革の本丸であると主張した。小泉は1979年の大蔵政務次官就任当時より郵政事業の民営化を訴え、宮沢内閣時の郵政大臣在任時や、第2次橋本内閣の厚生大臣在任時にも訴え続けていた。郵政民営化は小泉の長年の悲願だったのである。郵政民営化に対しては米国からの強い要求が存在した。2004年10月14日に公表された「日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく日本国政府への米国政府要望書」(略称:年次改革要望書)には日本郵政公社の民営化の要求が明文で記載されている。米国の保険業界にとって、120兆円を超える「かんぽ」資金は非常に魅力的な市場であり、米国政府は要望書で自国保険業界の意向に沿う形で「簡保郵便事業から切り離して完全民営化し、全株を市場に売却せよ」と日本に要求している
。これを受け、郵政民営化について政府の郵政民営化準備室と米国政府・関係者との協議が2004年4月以降18回行われ、うち5回は米国の保険業界関係者との協議であったことを2005年8月5日の郵政民営化に関する特別委員会で大門実紀史参議院議員の質問に竹中平蔵郵政民営化担当相が答弁で明らかにしている。さらに2005年3月に発表されたアメリカ通商代表部 (USTR) の「通商交渉・政策年次報告書」には、2004年9月に閣議決定した「内閣の設計図」(小泉内閣の基本方針)に「米国が勧告していた修正点が含まれている」と述べられ、米国政府は米国の勧告で郵政民営化法案の骨格が書き換わったことを公文書に記載している。

郵政民営化の経緯(wikipediaより)

このあたりを読むと、郵政民営化は米国の要望を小泉純一郎が汲んだ結果、と読める。事前の経緯についての説明が無いのでなおさらさね。でもこの辺の認識は私自身の記憶とは大きく異なっていて、私が知っている限りでは小泉純一郎以前から都銀のエラい人なんかが郵政民営化を主張していた。ただ、残念ながらその辺の情報について、web上で検索することは出来ない。


以下は、昔の新聞記事。

郵貯高まる民営化論議、郵政、防衛に躍起――自由化背景に根強い主張。


 郵便貯金の民営化論議が再び活発になってきた。臨時行政改革推進審議会(大槻文平会長)が先に竹下首相に提出した意見書で郵貯の経営形態の検討を促したためだ。郵政省は基本的に郵貯民営化に反対する立場から、意見書の表現の緩和を働きかけ、一応具体化を先送りするのに成功した。しかし、金融自由化の進展に伴い「避けて通れない課題」(民間金融機関筋)であり、今後、様々な局面で民営化論議が息を吹き返す可能性は否定できないようだ。「行革審の意見書でトーンダウンしたからといって安心せず、厳しく受けとめたうえで対応してもらいたい」――七日開かれた自民党の通信部会・電気通信問題調査会合同部会で、党側は郵政省側にこうクギをさした。「二年前の旧行革審の答申に比べトーンダウンさせました」と最初は胸を張った郵政省も、「問題が問題だけに、楽観しないでやります」と決意表明した。
 郵政省が「トーンダウンさせた」というのは二年前の旧行革審の答申内容に比べてだけでなく、今回の意見書原案と比べたうえでの話でもある。
 新行革審が二十九日提出した「臨調・旧行革審答申等の推進状況と今後の課題」(意見書)の原案では、郵貯民営化問題のくだりは「金融自由化が実現した段階においては、その経営形態及びその関連において財政投融資制度の在り方について検討を行う必要がある」となっていた。郵政省は行革審委員や事務局への働きかけによって、この表現の前に「将来」の二文字を挿入するのに成功、「将来的な検討課題としての位置づけが明確になった」(奥山郵政次官)。つまり「事実上のタナ上げ」(貯金局幹部)である。
 旧行革審が六十一年六月にまとめた最終答申では、郵貯民営化について今回の新行革審の表現に加えて「抜本的な改革を検討すべきだ」「これらの問題について別途関係省庁を含む検討の場を設ける」などの文言があったが、これらを削除した。
 さらにさかのぼって五十八年三月の臨時行政調査会の最終答申では「金融自由化の展望が得られた段階では郵貯事業の経営形態の在り方についても再検討すべきだ」となっていた。三年後の旧行革審答申に比べ、金融自由化の「実現」が「展望」とより見直しに前向きだったほか、財投見直しとの抱き合わせの必要性についての表現もここにはない。
 五十年代半ば以降の臨調・行革審での郵貯民営化論に関して言えば、結果的に後退を繰り返している。いずれも郵政省が表現緩和を強力に働きかけた結果である。
 しかも今回は、「竹下首相が郵貯民営化に意欲的」との情報が流れるや、中山郵政相自ら首相に会って「反対」を伝えたほか、全国の地方特定郵便局長あてに「情報は事実無根」とする文書を配布するなど、情報管理の面でも防衛に躍起になった。
 とはいえ、郵政省が郵貯民営化に一貫して反対していた訳ではない。それどころか四十年代半ばには郵政省は郵政審議会に対し、郵貯簡保、郵便の郵政三事業の「公社化」を諮問したほど、経営形態の変更には前向きだった時期もある。これは郵貯の機能強化を恐れる大蔵省、民間金融機関の反対で実現せず、お蔵入りとなった。この時の経験以来、経営形態の変更には触れず、現行体制のまま「民間なみサービス」の実現を目指すという基本方針に転換したと言われる。
 今回、高まった郵貯民営化論は、税制改革実現のため行革に取り組む内閣の姿勢をわかりやすい形で示したいという首相の意向が大きく、むしろ首相も「二十一世紀の課題」と、早期具体化を念頭に置いている訳ではないとする見方が有力。
 ただ、日本の金融自由化を考えていくうえで、郵貯民営化の議論を進めていくことは必要とする考え方は一部の民間金融界のほか、郵政省内の若手職員にも根強い。「郵貯民営化問題は休火山の状態」(自民党筋)であるようだ。
(1988/07/08, 日本経済新聞 朝刊, 5p/見出しの強調はブログ主による(以下同じ))

年号・日付・省庁名を修正すれば、10年後の記事としてもあまり違和感がない感じ?


↑を読めばわかるように、郵政民営化は30年来のテーマだった。ところが、googleで「"郵政民営化" "土光臨調"」ないしは「"郵貯民営化""土光臨調"」で検索しても両者を結びついていることが伺える記述はほとんど無かったりする。少なくとも上位には出てこない。この時代の政府公式文書は文字通り文書であり、web上で発見できないからで*1、このあたりの時系列的な情報偏在の問題はそこらじゅうにあるような気がする。ちなみに、上の記事には、1970年代には既に“公社化”の動きが郵政省内部にあったとあるけれど初耳だった。でも、それを手軽に調べる手段が無い(意欲も無いけど)。郵政民営化の経緯を丹念に記載した書籍なんかではちゃんと言及されてるんだろうか。


以下はさらに時間を遡って、土光臨調の頃の記事。
google先生に引っかけてもらえることを期待して。

定額郵貯見直し明記、民営化は表現緩める――臨調最終答申審議。


 第二次臨時行政調査会(土光敏夫会長)は九日午後、最終答申の第二章「現業特殊法人等」の草案について集中審議した。その結果、公団、事業団など特殊法人認可法人に対しては(1)事業目的を終えた法人は速やかに廃止する(2)自立できるようになった法人は民間法人化する――などの思い切った改革方策を打ち出すほか、焦点の郵政事業に関しては「定額郵便貯金」の見直しを目玉として提言することが正式に決まった。ただ先に明らかになった草案に明記していた郵貯民営化構想は表現を緩和して答申に盛り込む方向となった。これにより一連の草案審議は終了したが、懸案の地方事務官制度廃止などについては十四日の答申提出までにギリギリの意見調整を進める。
 第二章の草案は「特殊法人等及び現業等の在り方について」の第四部会報告を下敷きにまとめたもので(1)改革の方向(2)現業等の合理化(3)特殊法人等の整理合理化(4)特殊法人等の活性化方策――の四本柱で構成。特殊・認可法人では部会報告に沿って七十一法人に民営化など経営形態変更(二十七法人)、経営形態見直し(五法人)、事業の廃止・縮小(十二法人)なども求めている。
 ただ部会報告が打ち出していた医療金融公庫の廃止や国立教育会館の経営形態変更については表現上の若干の手直しを加えている。例えば医療金融公庫は部会報告が廃止後「他の機関」に引き継ぐよう求めていたのに対し、草案では「社会福祉事業振興会に統合する」と明記するなど、改革の方向をより鮮明にしている。
 一方、郵政、国有林野両事業と国立病院・療養所を対象とする「現業等の合理化」も部会報告とほぼ同じ内容。郵貯については抑制色を弱めた表現に修正したものの、定額郵貯の商品性見直しや郵貯の大蔵省資金運用部への預託金利決定方式の改善も部会報告通り盛り込んだ。
 さらに草案には当初、郵貯事業の将来の課題として「民営化を含め経営形態及び事業の在り方を再検討する必要がある」と部会報告より一歩踏み込んだ民営化構想が明記されていた。これは今回の答申が郵貯という財政投融資制度のいわば“入り口”の改革にとどまっていることから、金融自由化の進展に伴い、郵貯の在り方を中心とする財投制度全体の抜本的見直しが必要になることも見通したものだ。
 これに対し一部の委員が「民営化という言葉はどぎつすぎる」と指摘したため「金融自由化の展望が得られた段階で経営形態の在り方についても再検討する」といった書き方に改めることになった。しかし、九日の審議の席上、起草委員の円城寺次郎会長代理は「経営形態変更には当然、民営化も含まれる」と述べ、民営化に含みを持たせた表現であることに変わりがないことを強調した。
(1983/03/10, 日本経済新聞 朝刊, 2p)

全国銀行協会連合会副会長星野大造氏――郵貯が世界一の金融機関(この人と5分間)


 ――英国調査機関によると、日本の郵便局が世界の金融機関の中でトップの預金高だそうです。印象は?
 「バンカメリカの三・七倍の預金残高で効率も良いというんでしょう。あきれているんですよ。というのは金融機関としてやるべきことをやっていないからです。法人税をはじめ税金は一切払ってないし、民間が日銀に預けている無利息の準備預金もしてない。国への貢献度はゼロと言っても過言ではありません。郵貯と同規模の民間金融機関があったとしたら、年間五千六百億円の税金を納めなくてはなりません。これがゼロなんだから、効率良くなるのも当然」
 ――郵貯にご立腹ですね。
 「民間だと株主や預金者、国に経営内容を明らかにする義務があるのに、郵貯の場合はディスクロージャーは極めて不十分。郵貯は昔の高金利時代の定額貯金を抱えてるから、表面とは裏腹に実質は既に赤字なのに、それを明らかにしません。寄らしむべし知らしむべからずの古い精神が残ってます」
 ――でも庶民には郵便局は身近で便利な金融機関ですよ。
 「そうやって甘やかしてると第二の国鉄を作ってしまうんです。電電や専売公社の民営化のように、国家の民間活動分野への介入を排除する方向に時代は動いている。郵貯にも早く手を付けるべきです」(F)
 (昭和十五年東大経卒、日本銀行入り。四十九年理事を最後に退職、日本輸出入銀行副総裁に。五十三年から現職。六十八歳)
(1984/09/27, 日経産業新聞, 32p)


というわけで、新聞社は過去記事のDBをできるだけ安価で利用できるようにしてくれないかなあ。ぶっちゃけ、今の日経テレコンは個人で手軽に利用するのはよっぽどの金持ちでもないと無理ですよん。証券会社と提携して利用可能な場合でも1980年代の分までは取れないし。むしろ、古い記事の方が情報価値は低いのだから、もっと開放してもらえないだろうか。ダメ?



【速報】亀井は郵政金融大臣に:アルファルファモザイク
どうなることやら。

*1:部分的には誰かがベタ打ちしているかもしれないけども