もうひとつ

時事ネタをもうひとつ。
日本の裁判官がおかしい


全体的にみて、筆者が裁判で感じたイヤな気分をそのまま書き殴っているような。「駅前のラーメン屋に入ったらオヤジがえらい無愛想だった」ので、その勢いで「ラーメン屋はサービスが悪い」という文章を書いた感じ。もっと冷静に多面的に考えた方がいいんじゃね。こんなタイトルにするんだったらね。で、内容も当事者の判事じゃなくて弁護士の意見が多く、真面目に取材して書いているとは思えないので、自分が知ってる限りの情報からいくつか反論してみる。

 司法の制度疲労は、青天の霹靂で自分自身が巻き込まれた裁判でも痛感させられた。都市銀行の支店に勤務していた時、上司が脳梗塞患者に立ち会い人もなしで巨額融資を実行し、患者本人や家族らに訴えられた事件だった。

制度疲労と言うことは、昔は機能していたのに今は機能しなくなった、という意味だと思うが、この人は昔の裁判制度は今よりまともだったという情報をもっているんだろうか。今の裁判制度が出来たのは戦後。でも、判事をやってたのは戦前の判事だったわけで、戦後20年くらいは戦前の司法制度の影響が結構残って結構無茶な判決が出ていた(と聞いた)。反証となる物証があるのに自白を理由に有罪としたりね。
個人的には現状は割とマシだと思うんだが*1。少なくともここ20年の間で確定した死刑判決がひっくり返ったこと無いし。


はてなブックマークのコメントにも書いたけど、判事がみんながみんな、超人でも天才でも無いわけで、自分がその場にいなかったことについて、まるで見たり聞いたりしていたかのような判断を要求するのは無理じゃないかなあ。

 脳梗塞患者の配偶者の連帯保証人としての署名と印鑑が偽造されたことには争いがなく、署名を偽造した本人も偽造の事実を認めたのにもかかわらず、配偶者の連帯債務を認定し「債務者本人と連帯して債務を払え」と書いてあったのには唖然とさせられた。どう見ても「ええい面倒くさい」と書いたとしか思えない判決だった。ちなみにこの裁判長は、司法試験の選考委員も務める法曹界のエリートである。

事実関係がよくわからんが、連帯債務って連帯保証人以外は一切負わないものなん?そうじゃないなら、連帯保証書が偽造されているかいないかに関わらず、そういう判決が出てもおかしくないかと。判事の仕事は法律に則って判断すること。この件とは関係ないけど、心情的には勝たせたくても、規定上出来なかった、という話を現職の判事から聞いたことがあるよ。

 最も驚かされたのは、証人尋問の最中に裁判長が堂々と居眠りをしていたことである。ロンドンから自費で日本にやってきて証言しているというのに、何ということだと憤慨させられた。私の時だけでなく、ほかの証人尋問でも居眠りをしていた。当時、「月刊現代」に頼まれて証人出廷記を寄稿したが、判決に影響するとまずいと思って、そうしたことは書かなかった。しかし、今般上梓した『貸し込み』(角川書店)には、居眠りのことだけでなく、日本の裁判が抱える諸問題を率直に書かせてもらった。

公判中に寝てる件は明らかに職務怠慢なんだけど、基本的に判決の起案は担当判事3人中だれか1人が担当して書くから(原案が出来てから合議→多数決で決定)、主担当以外の2人は真剣に聞いていないのはしょうがない部分があるような気がするが。特に裁判だと自由応答はほとんど無く、大部分は書類を棒読みするだけだったはずで、ある意味苦行としか。ちなみに、前職で、自分が書いた文章を1時間半ひたすら読み上げるという業務をやったことがあるが、読みながら寝そうになったことが何度もある。

 控訴審でも、裁判官が20ページほどの控訴理由書を読まずに口頭弁論に出てきて、「それは理由書のどこに書いてあるんですか?」と臆面もなく聞いたという。弁護士からは「裁判官が記録をきちんと読んでいるのかさえ疑問に思うとともに、空しさを覚えます」というメールが送られてきた。

 1審判決も、判断根拠をほとんど示さず、6年以上にもわたった裁判であるというのに、20ページほどの判決文で片づけられた。そのうち事実認定に関する部分はわずか9ページだった。

書いてないことは法律上の判断材料にならなかったんでしょ。だからといって、見てないことにはならないと思うが。ある程度の長さの文章を書く仕事をしていれば、書かない部分に膨大な手間がかかっていることくらいはわかると思うんだが。裁判を長くやってたんだから判決も長く書け、というのはタダの嫌がらせじゃん。

 裁判官が増えないのは、裁判所行政を司っている最高裁事務局が頑迷であることが原因だ。徹底したエリート主義にこだわり、裁判官の増員に消極的である。

判事を増やせというのは割と簡単。私が知る限りバブルの頃からずっと言われてる。でも、それにより発生する判事の質の低下はどうするのかについて明確に対処法を示しているケースは無いような。現状、判事は司法修習生のうち成績が上から40%程度の人間から選抜しているらしいが、判事を増やしたら今より法律についての知識・理解に乏しい人間が任官することになる、すなわち判事間の能力の差が大きくなるんだが、それでもいいんだろうか。技術的なことについて専門知識をもった判事を増やせ、という指摘についても、代わりに法律についての知識・理解に乏しくてもいいのか、という気がするが。世の中何でもできる人はそんなにいないよ?

 これらの中で、裁判官不足に次ぐ大きな問題点を1つ挙げるとすれば、「ディスカバリー(証拠開示)」制度がないことだろう。英米では、裁判が始まる前に、当事者間で争点に関する全情報(書類、データなど)を開示しなくてはならない。

ディスカバリー制度については、裁判所としては楽だし導入できるんならしたいんじゃね。でも、この制度は「最初に相手の手の内がわかってしまう」わけで、「手持ちの資料から論理的に事実を立証する」ことよりも「相手の資料のあらを探す」ことが優先されることになるんじゃないかと思うんだが。まあ、私はこの制度に詳しくないので、放言ということで。


まあ、酷い判事がいるのは確かだし、別に関係者でもない私が日本の司法制度を擁護する義理もないやね。ただ、気に入らなかったからといって、ろくに調べずがなり散らすのは、自称「国際金融のプロ」としてはどうよ。

*1:まあ、試験合格のためのテクニック優先になって、法哲学とか従来はそれなりに勉強していた分野を全部吹っ飛ばしているという愚痴を聞いたことがあるけどね。