久しぶりに2

日曜午後に時間が空いたので、上野の国立西洋美術館コロー展を見に行く。
コローの経歴については、例によって消えるともったいないので全文をここから引用。

1796年、父親はラシャ卸売業、母親は高級婦人帽店の経営という裕福なパリのブルジョワジーの家庭に生まれた。家業を離れて画家の道へ進むことを許されたのはようやく26才のときで、新古典主義の風景画家アシル・ミシャロン、そしてヴィクトール・ベルタンに師事する。
1825年から1828年には念願のイタリア留学を果たし、明るい戸外の光と色彩に満ちた風景画を描いている。1834年、1843年にイタリアを再訪するほか、生涯を通じて、フランス各地を旅して戸外制作をおこない、自然に対するみずみずしい目と感性を持ちつづけた。
サロンには1827年に初入選、以降、主に神話や文学を題材とした大型の物語的風景画を出品し、しだいに風景画家としての地位を築いていった。公的な名声に加え、銀灰色の靄(もや)とやわらかい光に包まれたコロー独特の抒情的な風景画は広く一般的な人気も博した。なかでも、かつて旅した土地の想い出の風景をアトリエで再構成した一連の風景画、「想い出(スヴニール)」からは、《モルトフォンテーヌの想い出》(1864年)のような代表作が生まれる。また、生前は発表の機会は少なかったが、《真珠の女》(1858‐1868年)や《青い服の婦人》(1874年)のような人物画にも傑作を残した。
いずれのジャンルでも、古典の伝統をふまえつつ、鋭敏なレアリスムの感覚と確かな造形力によって独自の詩的世界を作り上げ、印象派をはじめ、多くの画家たちに多大な影響を与えている。
1875年、パリで没。

来ていた絵画も大半が風景画で、一部肖像画。描写方法よりも構図優先、といった形で、説明を読んでいると後から人物を加えたり、建物だの樹木の位置を動かしていたとか。実際の風景よりも自分のイメージを優先させるスタイルが後の印象派に影響を与えたらしい。なるほどね。
これといった一枚が無かったので、とりあえずカタログ・絵はがきともに無し。
人手はまずまず。小学生らしき子供がメモを片手にウロウロしてたのは何かの課題でもなってたのかね。